灼熱の雪合戦 8月27日は一般の部の戦いです。

本日 2017年 8月26日 撮影された写真が投稿されましたので
早速、アップさせて頂きます。

第四回目の雪合戦だそうです。
という事は 4年目と言う事になりますね。

運営されている商工会青年部のメンバーの皆様に敬意を称します。
協賛されているスポンサーの皆様にもこれからも末永く地元に貢献されることを

お願い致します。

雪合戦に付いておもしろい記事が有りましたので書いてみます。
雪合戦は日本発祥のようです。

「YUKIGASSEN」スポーツ雪合戦世界大会が今年も開催!のサイトもありました。

興味のある方は下記のサイトをどうぞ御覧ください。

 

YUKIGASSEN 世界大会クリックして下さい。

日本発祥の記事の件ですが・・・
サイトからの写しに過ぎませんので詳しい内容についてはご自身でサイトを見て判断を
お願いします。

 

雪合戦の歴史より・・・クリックして下さい。

 

この記事によりますと・・・

——-雪合戦の歴史——

そのころの歴史書を紐解くと・・・
雪合戦は、武将としての資質を見極めるために用いられていた???
とされている。

~吉川元春(1530-1586)の体験~

毛利元就の子、元春と隆景が幼い時、それぞれ4人ずつの仲間を率いて、雪合戦をしました。元就は、ひそかに物陰から見ていました。

子供たちは5人ずつ左右に別れ、戦います。
元春組ははまず、しきりに雪玉を投げ、打ちかかっていったので、隆景組は、負けてしまいました。

しばらくして隆景は、もう一度やろうと言って、再び戦いましたが、今度は、隆景組は、3人しか攻めて来ません。

元春組は、勢いに乗って5人で攻めかかり、隆景組は少しずつ後退していきます。
ところが、隆景は、あらかじめ2人を伏せて置いて、横合いから打ちかかりましたので、今度は元春組の負けとなりました。

元就はこれを見て、「両方ともが勝ったのだ、これ以上の戦いは無用だ」と言ったといいます。

元就は、「この子たちが成人したら、嫡子の隆元を旗本として、元春・隆景を先鋒としよう。聞くところによると、北国は、人気はあまりなく、ただ屈強であることのみをよしとして計略は少なく、南国は、人や船の行き来が多く、うまく立ち回ることも必要だ。

雪合戦のことを考えると、北国は元春、南国は隆景に任せるのがよいだろう・・

このエピソードは、元春のエピソードとして、または、元春・隆景兄弟の違いを表わした話として、紹介されています。
しかし、この話のタネ本である『名将言行録』(岡谷繁実著、岩波書店)では、元就のところに入っています。

吉川元春(1530-1586):

毛利元就の次男。

生涯で76戦中64勝の戦績を残した猛将だが、尼子攻略の陣中で『太平記』全40巻を筆写していたという、文人の側面も持つ。
毛利家が豊臣秀吉と講和した後隠居し、島津討伐の際、陣没。寒中に咲く梅に譬えられた。

雪合戦も調べて見ると面白いものです。
イベントに参加される人々の方がもっとたのしいのでしょうね!

守谷から世界に・・・
そんな日が来るかもしれません。

本日撮影された写真を掲載しておきます。

明日は 2017年 8月27日 雪合戦は一般の部です。

皆さんも是非、守谷駅西口駅前広場まで足をお運びください。


 

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